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生きづらい世界から飛び出すのだ!

鉄道会社、プロフェッショナル職とは?(車掌への道)

 

さて、大卒の私が

プロフェッショナル職という職種で

鉄道会社にはいってから進むべき道を紹介します。

(ちなみに在来線と新幹線があるのですが、どちらの道に進むかは運です)

 

 新幹線車掌→駅係員→新幹線運転士→個別運用(指令や研修センターなどへ)

 

こんな感じで私は念願の新幹線の道に進むわけです。

それこそ新幹線に選ばれなかった同期で泣いている子もたくさんいました。

それだけ新幹線を志望する人が多かった(そりゃそうよね…)

 

さぁ新幹線車掌になりました。かっこいいですよね(いきなり)

 

余談ですが、

私は特に制服が好きで、制服を着ている時間は

たぶんものすごく自己肯定感が高かったと思う(笑)

それくらい制服のちからってすごかった気がします。

 

だけど、実際の車掌生活は甘くなかった。

ざっくりの勤務体系は

・基本泊まり勤務

・睡眠時間は4,5時間くらい(駅に泊まるので睡眠の質は良くない)

・基本的に1勤務で東京ー大阪を2往復する

・主にドアの開閉や電車の故障対応、きっぷの検札&販売

 

何千人のお客さんを乗せるので、やっぱり緊張感はすごかったし、

「自分の判断で人を殺すかもしれない」というプレッシャーで

鬱になる人もたくさんいました。

私はこの頃はそのような鬱っぽい状態はなかったんです。

 

ただ、ずっと関東のドライな感じで育った私は、

関西人の圧がすごくて、先輩の怒りの関西弁を浴びたときは

心が根こそぎいかれました(笑)

 

だけど、私には関西がすごくあったのか

ものすごい勢いで関西弁を吸収し、

関西人のあたたかさに感動しながら、

仲いい人もたっくさんできました。

 

会社の飲み会は

「自分を売る」為にいつも出席してました(会社の鏡、きらっ)

「お前は飲み会にいつもいるなー!」という関西のおじちゃん達から

可愛がっていただいてました。

 

なんでここまで頑張れたかというと、

古い社風だし、大卒っていうだけで嫌われる会社だったんです。

それだけで、仕事がやりづらくなるのは嫌で、

気に入られるように必死になっていました。

 

ただ、今振り返ると、

自分の鬱の原因でもある「真面目さ」で

がんばらなきゃ!と使命感に追われていた感じもします。

 

 新幹線の運転席から見える

逆に流れる風景は、絶景でした。

 

 

 

non

いざ!軍隊へ!!(会社の研修)

 

ここまで、生まれてきてから会社の内定の話までご覧いただきありがとうございます。

 

 さぁ、ここから4年半(うち1年半は休職)鉄道T社に勤めるわけです。

 

まず最初の4ヶ月間は静岡にある研修センターに入ります。

変というか、なんかすご…って思うようなポイントを

思い出せるだけお披露目します(笑)

 

4ヶ月間、平日泊まり込みでの研修

 

2人で1部屋

なんせ数カ月間にも渡りますから、

朝型、夜型とか、いびき問題とか、勉強するしないとかで

ルームメイトとうまくいかないととにかく地獄でした。

 

私→規則正しくしたい、なるべく効率よく勉強したい

相部屋の子→夜型、勉強苦手、ぎりぎりで焦る(いらいらし始める)

 

こんな感じでそもそもの相性があまり良くなくて

授業が終わると、別の仲の良い子の部屋で過ごしてました(相方もそう)

 

はたからみるとめちゃくちゃ仲悪そうに見えてたと思うけど、

表面上は仲良さそうにはしてました(笑)

 

 

授業時間外は常にジャージ(飲み会があってもジャージ)

授業外に私服で過ごしてるほうが浮いてるかも?くらい、みんなジャージでしたね。

同期の9割が男なので、しょうがないのかな…

 

④朝7時に社歌で起こされる、からのグランドに出て会社オリジナルのラジオ体操

完全に軍隊ですよね。

どんだけ愛社精神強いんだっていう(笑)

そして会社オリジナルのラジオ体操はもう記憶がありません、あんなに踊ってたのに

 

 

⑤クラスの教官がブチギレて黒板を強打(漫画とかに出てくるヤンキーがやりそうなやつ)それで、次の日ギブスして授業(骨折だったらしい、笑)

これは事件でしたね。

教官も半分はパフォーマンスでキレたと思うんです。

なのに結果的に骨折れちゃったみたいな。

生徒全員、ギブス姿見てしらけてました。

 

 

あと、とにかく大きな声を出さないと怒られるという(笑)

完全体育会系でした。

挨拶はもちろん、授業の一環で数日声が出なくなるときもありました。

 

なーんかこんな軍隊みたいな環境でみっちりメンタルを鍛えられるわけです。

今思うと完全に宗教みたいな、洗脳生活でしたね。

 

 この研修が終わると

各々配属先が決まるという流れでした!

 

ちなみ22年間実家暮らしの私が初めて1人暮らしした場所はなんと「京都」でした。

 

 

 

non

最近の体調(なんだか調子が悪い日々)

 

今は病院からもらった

メイラックス という薬を就寝前に

2錠飲んでいます。

もう2週間くらい経つのかな?

 

おかげで、眠れるようになりました。

効果が長く続くのもあって日中も症状が軽くなるよと言われていました。

最初の3日間は朝起きた時や日中の軽さに

スキップしそうな勢いでした(嘘)

 

だけど、それからはやっぱり調子が悪い時は

すこぶる悪い。

脳みそがフル回転していて、

とにかく脳みそを外したくなるようなむず痒さに葛藤します。

これは恐らく色々なことを一気に考えすぎだからなんだと思います。

 

あと

被害妄想が激しくなったなと思います。

なにからも安心感を得られない辛さと

相手を信頼できない辛さにいつも葛藤します。

 

例えば夫くんに「私のこの行動は平気?」と聞いて「平気だよ」と返ってきても、

「いや、平気じゃないに決まってる」

「嫌われちゃう」 

そんな思考になってしまうのです。

 

自分を大切にしてくれてる夫くんの言葉も信じられないなんて、最低だな…とまた自分を責めます。

 

もうずーっとこれの繰り返し。

しんどい(笑)

でもこれってなかなか治らないんですよね…

お母さんからは「脳の病気だから、しょうがないし、落ち着いてくるよ」って言われて、どうにか納得しようとしています。

 

自分の脳みそよ、落ち着いてくれ

いつも心の中で唱えながら生活します。

 

怪我をすればそこを消毒して絆創膏を貼れば

何日かしたら治ります。

脳が怪我している場合って難しいですよね。

消毒=薬で、絆創膏=休むことなのかなと

自分では思っています。

 

よく、うつは薬じゃなくても治る!

みたいな本が出ていますが、

そりゃあ食事とか規則正しい生活とかできれば、もちろん1番いいし、体への反応もすごくいいのはわかってます。

 

だけど、それができないんです!!!

って声を大にして言いたい(笑)

 

ちょっとずつですよね、

ちょっとずつ良くなっていけばいいなと

思った今日この頃でした。

 

 

 

non

 

 

 

心理学出身の女子がなぜ鉄道会社を目指したのか?

 

前回に引き続き、就活のお話をします。

 

私がなぜ鉄道会社に憧れたかというと

「電車の運転士になりたかった」のです。

私は、片道2時間の通学や、スーツを着ながら説明会に向かう中で

電車で過ごす時間が本当に長かったんです。

 

お尻にも限界があるもんで、立っていることも多々ありました。

 

これはとても無意識ですが、先頭車両に乗ることが多かったです。

景色も見れるし気分転換になっていたからかもしれません。

でも、1番の理由は、

先頭車両から見える運転士の背中をぼーっと眺めるのがとても好きだったからです。

とにかくかっこよかった。

 

「この人が電車を動かしているんだなぁ、こんなにたくさんの人を乗せて」

 

そんな毎日の楽しみが、就活の軸となっていきました。

 

「やりたいことがない」

そういうことで悩む人はたくさんいます(私もそのうちの1人です)

でも、こうやって思い返してみると

夢になるってこういう単純な理由でいいんだって思いました。 

 

 

ここから、知ってる限りの鉄道会社はすべてチェックしました。

少し自慢が入ります(笑)

第一志望であった鉄道会社(日本の中心を走ってるオレンジのとこ)と第2志望の会社(みんな大好きペンギンの緑のとこ) 、ありがたいことに2社とも内定をいただきました。

 

以下、T社とH社にしますね。

私の決定打となったのはやはり「人」です。

T社の社員さんは、内定前も内定後も本当に親身に話を聞いてくれて

人がとにかく優しかった。

こんな人達と働きたいなぁと思えたのが1番です。

 

まぁ最終的にこの会社で私はメンタルを壊し退職することになるわけですが、

この会社、本当におもしろいことだらけだったんです。

簡潔にご説明すると

・ありえないくらの「体育会系」

・大学生から社会人になる研修という名の「軍隊生活」

 

そんな感じです。

私は周りに大企業に勤めている友達が少ないので、わかりませんが、

こういう会社も少なくないのかな(笑)

 

追々、入社後のエピソードについては話していきます。

こんなざっくりな話で申し訳ないですが、

鉄道会社に入社したい人や、就活に悩んでいる人の力になれたら嬉しいです。

 

また、次の記事でお会いしましょう

 

non

大学と就活ーなんだか必死だったあの頃ー

 

前回は人生最初で最後のいじめに遭った高校時代の話を聞いていただきました。

 

大学生活は、ツタがたくさんで有名な(この表現伝わるかな)第一志望の大学に破れ、都内の某女子大に通い、心理学を学びました。

「自分がいじめに遭ったり、人間関係で悩むことが本当に多かった」という理由で、受験した大学はすべて心理学部でした。

 

 

大隈重信像のある大学とのインカレで野球サークルに入り、

飲食店やアパレル、野球場の案内などのバイトを経験しました。

 

大学へは友達に会いに行ってたようなものです。

心理学の友達は、心優しくて皆めちゃくちゃ聞き上手だったなぁ

さすがカウンセリングの授業とか受けてただけある(拍手)

 

(大学の内容はそんなにおもしろいことも出てこないので

このへんで一旦終わります)

 

さて、

大学の話は終わったものの、就活の話から入社まで話します!

 

当時の就活(2014年)は大学3年生の12月スタートで、

私はありがたいことに

大学4年生の4月はじめに大手鉄道会社に入社が決まりました。

 

 

12月に就活をスタートする前から

えげつないスタートダッシュを切ったのを今でも鮮明に覚えています(笑)

100社以上の会社にエントリーして

とにかく毎日スーツを着て説明会に行く、という生活をしていました。

 

ストレスからか、にきびが大量にできて

「こんな顔で外に出れない」と泣いて、

説明会に行けなかったこともあります

(特に行きたい会社でもなかったはずなのにどんだけ行きたかったんだろう)

 

友達からは今でも言われます

「のんちゃんの就活はほんとにすごかったよね(熱意が)」

 

おかげさまでなのか

行きたかった第一志望の鉄道会社から内定をもらいました。

面接は4回もあったし、

3回目の面接の場所なんか、良いホテルの1室でした(笑)

 

ここで、なぜ私が鉄道会社を目指していたのかは次の記事でお話します!

 

 

non

入学早々のいじめー高校編ー

高校生になりました。

千葉県で2番目に頭の良い高校の受験に落ちて

山奥にある私立の進学校に入学しました。

 

入学して1週間くらいでしょうか、

いじめが始まりました。

発端を完結に話しますね。

40人中女子が10人しかいない進学クラスに入り、

ソフトボール部に入部、そこでボスと呼ばれる女に出会う

 

部活も一緒でクラスも一緒

高校生活始まって間もないのに、ボスの態度が怖すぎて

ソフト部の友達にメールで相談しました。(のちの親友)

友達いわく、「そんなやつ気にすることないよ!」と強気の慰め。

おかげで、次の日からまたがんばろうっていう気にもなれました。

 

なのに、、

まぁボスと呼ばれるくらいですから

人の携帯も遊び半分で見ちゃいますよね

 

その友達とのメールを盗み見されて

せっかくの改心も一瞬にして砕けました。

 

その翌日からです

入学早々ですから、まだ4月です

周りの人も仲良くない…でもボスはクラスでギャーギャー言うタイプですから、

みんななんとなーく空気でボスサイドにつきますよね、もちろん

 

 

しかとされる毎日が数ヶ月続きました

スクールバスから降りて家までの道のりを

毎日泣きながら歩きました

 

「今日も1日終えることができた…」

 

そう思いながらとにかく毎日過ごしました。

クラスも部活も一緒ですから離れるに離れられない、

思った以上に過酷な毎日でした

 

母はあまりにも辛そうなわたしを見て

退学することも提案してくれました。

心は完全にぼろぼろだったのです

 

だけど、その頃の私は休んだり、退学する考えはなかったのです

(単純に休んじゃいけないという生真面目さと、休んでも何も変わらないという諦め)

 

そして数ヶ月後、ボスのいじめのターゲットがいきなり変わったのです

これまでの地獄はなんだったんだと、目が点になるくらい

めちゃくちゃ声をかけられるようになりました

 

もういじめっ子の神経ってほんと理解不能ですよね(笑)

 

それから話はすっ飛びますが、

2年生になり、クラスが離れて、

ボスは別のクラスでさらに強いイケイケギャル集団にいじめられて

退学していきました(まさかの展開すぎる)

 

そこから高校卒業までは

穏やかな生活を送ることができたという、入学早々悲惨な高校生活でした。

 

高校で自慢できることは

いけめんの彼氏ができたことです(1ヶ月で儚く別れる)

 

 

 

non

 

 

 

 

生まれてから、一気に中学生活までオープン!

私は、千葉県の田舎生まれで、大学卒業まで過ごしました。

三人兄弟で、姉、わたし、弟です。

 

簡単に家族説明!

父:穏やか、背が高くてかっちょいいほう、几帳面

 

母:天然、ゆるくて優しいけど、少し自分中心。家族思い

 

姉:1個上、生粋のオタク、でもオタクに見えないおしゃれ大好きなオタク、面白い、人付き合い嫌いなドライな性格

 

弟:4個下、中学から不登校、私より早いうつ病経験者、でも今は会社に勤めてもう3年くらい?すごくおとなしい

 

こんな5人家族でした。じぃばぁも同居してた

 

全然自慢ではないですが、

もともとハーフっぽい子供で、かわいらしく、細くて身長も高かったから、結構自分に自信がありながら、「いやいやそんなことないです、、」って言ってた記憶。

大学のときモデルにスカウトされたこともあったり(顔はともかくね)

 なんか容姿を褒められることも多かった。

 

姉が勉強嫌いだった分、自分は勉強しよう!って潜在的に思ってたのか

中学も高校も学年上位にいつもいるくらいでした。

 

 

高校受験も大学受験も良い学校に入りたかったけど、

どちらも第一志望は落ちて滑り止めに行くことにはなったけど、

まぁ名の知れたところで自分的には後悔もなかったです。

 

なんかこうやって書いてるとまぁいい感じの人生に聞こえる(笑)

 

けど、今思い返しても辛かったこともたくさんありました

幼稚園のときは、毎日泣いていたし、

小学生になっても

気が強い子に憧れがち、仲良くなりがちで、

結局わたしの八方美人の性格に友達が嫌気をさして

はぶられたりすることも多々ありました。

 

小学校の時

「のんちゃんって八方美人だよね」

って言われたのを今でも鮮明に覚えていて、それがトラウマにもなりました。

 

中学校のときは安定の八方美人で、クラスの中立的なポジション

誰からも嫌われない立場を確立しました。

 

「自分を嫌う人なんていない、こうすれば人から嫌われない」

という自信を持った私は、

万が一人から嫌われたときの免疫が一切育っていなかったのです。

 

この頃からだろうか、人から嫌われたくないという気持ちが強くなったのは。

 

 

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